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第13回 ストラテジック・インサイト・セミナーのご報告 2008年(夏)

2008年8月27日

7月26日土曜日・晴天。
1972年横浜市港北区日吉本町に建築されたKBS校舎が36年の歴史を閉じるこの日、学び舎との別れを惜しもうと教職員や同窓生 約170名が集まり、21番教室は超満員の熱気で包まれました。
このセミナーは、平成20年度同窓会役員及びサポート幹事による特別企画であり、本年の第一回ストラジックインサイトセミナーを兼ねています。

式次第

14:00 第一部(セミナー及びお別れ会)

開会挨拶

山田邦雄
2008年同窓会 会長・M11

ご講演

片岡一郎
第三代KBS校長

感謝状贈呈

KBS校舎の歴史を振り返る
田村充
2008年同窓会 副会長・M19

来賓紹介ご挨拶

池尾恭一
KBS教授・委員長

15:15 記念撮影@モービル図書館前

15:45 第二部(懇親会)

来賓代表祝辞

余田拓郎
KBS 教授

17:00

中締め

浅野貞泰
2008年同窓会 副会長・M11

第一部 概要

開会に当たり、当該企画主催者である平成20年度同窓会を代表し、山田邦雄同窓会長(M11・ロート製薬(株)代表取締役社長)が挨拶されました。
山田会長は、KBSがK期に始まり今やM31を数え発展する一方で「縦の糸が弱くなりかけている」と述べ、今年のOB同窓会役員会として同窓会をまた盛り上げる「原点の年としたい」と抱負を語りました。そこで本年の役員会では、KBSの新しい時代を迎えるにあたり「KBS同窓会の愛称」の制定を決定し、今秋リニューアルする同窓会のWebサイトなどを通じて、広くOBの皆様の声を集め、来年の総会にて決定すると述べ、開会の挨拶をまとめられました。
続いて、片岡一郎 元KBS校長による記念スピーチに移りました。「何十年も前に辞めた人間の回顧を今さら聞いても皆さんにとって何の足しにもならない。本来は、(現 委員長の)池尾先生にこれからの10年、学校が目指す姿を語っていただくべき」とのお言葉に、参加者一同深く引き込まれていきました。

「KBS立ち上げ」のきっかけ

まず片岡先生は、福沢(諭吉)先生が慶応義塾大学を立ち上げる際に教員を派遣してもらった大学がハーバード大であり、その後KBS立ち上げのときもハーバード大の協力を得たことについての「一致」について言及されました。それは終戦まもない昭和31年、ハーバード大ビジネススクール(HBS)がフィリピンで開催したAdvanced Management Programという「ケースを使ったプログラム」があるという情報が、当時スタンダードバキューム(石油会社)の副総支配人からもたらされ、そこで大学は1名の教員を同プログラムに派遣し、そこで出会った2名のHBSの先生方をセミナー終了後東京に招聘し、同様のプログラムを行ったことが始まりとのことです。この、初めて日本で開催された「ケースを使ったトップマネジメントのためのセミナー」は大好評を得、その後何年も続けて開催されて今日のKBSの基礎になったそうです。
一方、1955年の経済白書の有名なサブタイトル「もはや戦後ではない」が示すように、当時は企業の多角化、大型化、国際展開が始まり、大学に対して「経済発展を支える人材育成を」という期待があり、「慶応義塾はその時代要請にいち早く応えたと思う」と1962年KBS設立に至る経緯をまとめられました。

気賀先生の元、一年制教育課程(K期)開設に踏み切る

続いて片岡先生は、KBS初代校長の奥井先生(慶應義塾100周年時の塾長)がKBSの下田のセミナー中に急死されたことに触れ、「まさに殉職」と大変残念な思いを吐露されました。また二代目校長に就任された慶應義塾の名門・経済学部において特別注目されていた気賀健三先生の元、大学院としてのビジネススクールの前段階として、1年制教育課程の開放に踏み切ったことについて述べられました。この一年制教育課程の一期生は47名で、その後9年間続き約600名がプログラムに参加しましたが、片岡先生はその中でも「異色の人材」のエピソードとして、フランスの名門中の名門グランゼコール・ポリテクニークの学生が入学してきたことについて紹介されました。「そんなエリート校の学生が、何でか知りませんが、『入学したい』と願書がきまして、拒否する理由もないので『どうぞどうぞ』と迎え入れました」「このフランス人は、来日当時は全く知らなかった日本語を3ヶ月でものにし、最後は日本人学生とマージャンしても決して負けないほどの秀才だった」という話はセミナー参加者の笑いを誘ったと同時に、すでにこのプログラムが海外の優秀な人材から注目され始めていたということが示されました。事実、優秀な学生たちの頑張りもあってこのプログラムは企業から大評判を呼び、その後のKBSの発展へと続いていくのです。ここで片岡先生は、気賀先生がこの一年生コース開設に踏み切ったことに対し改めて深く感謝されながら、程なく気賀先生が経済学部長の任にあたるためにKBS校長職を辞さざるをえなかったため、片岡先生ご自身が三代目校長を引き受けられたという流れをご説明されました。「三代目はろくな話がない、三代目で終わりになると言われる」と参加者の爆笑を誘いながら、「私なりに一生懸命頑張ったつもりであります」とご謙遜されました。

Degree申請へ

この一年生コースの学生が卒業して活躍し、その派遣元の企業からKBSの評判が評判を呼び、それが経済界全体に波及したおかげで、多くの企業がKBS校舎建設の寄付に心よく応じてくれました。(その中でも特にモービル石油(当時)は、KBS単独の図書館を寄贈)このように大学院(本部)の力を借りず、寄付でまがりなりにも全ての施設が整い、いよいよ「Degree申請へと近づいていった」ことになります。Degreeを得るには文部省(当時)の認可が必要であり、他大学の経営学者数人のグループでKBSの視察を行って審査委員会のようなもので審議され認可の可否が行われます。その視察に立ち会っていた片岡先生に対して審査委員の一人が、「君、こういうところは『産業訓練所』というんだ。大学院の申請をするとは何事だ。時間のロスだ。」なんていうことを言われたそうです。これを聞いて片岡先生は「こんなところでケンカしたらおしまいだ」と我慢して「分かりました」と答えておき、最終的には文部省から「認可」がおりたわけです。「そしてその年が1978年ですから、今年は大学院としての30周年となっている」と述べられました。

ハーバードビジネススクールが偉大なる所以

一方で、KBS設立に多大な援助を行ったハーバードビジネススクール(HBS)設立1908年以来1世紀を数えますが、当初「MBA(Master of Business Administration)」という名称に対し「そんな醜い名前はやめておけ」と言われたそうです。それは「Business」という言葉の響きが、「大学という象牙の塔にふさわしくない」ということであり、それは「今のアメリカを思うと不思議に思う」とコメントされました。ちなみに、HBSの初年度入学者は33名でありましたが二年生に進級できた者はわずか8名であり、大変厳しいカリキュラムであったことが伺えました。ともあれHBSは、ケースを使った教育でビジネススクールとして磐石な地位を築いたわけですが、その功労者としてアメリカで生まれたMarketingのパイオニアであるA.W.ショーが、HBSの教授としてケース教育推進の中心的な役割を努めたそうです。そして片岡先生は、今日たくさんのビジネススクールがある中でハーバード大、HBSが偉大である所以は、「研究ではなく教育を中心に置いている」からだと指摘され、ご自身がHBSのDeanであったご経験を話されました。当時HBSは10クラスあり、従って10名の教員が同時に授業をするが、必ずその中の教員に学生から文句が出て、Deanとして対応に苦慮されたそうです。他のDeanに聞くと、「よく先生と話してみなさいと言うしかない」とのこと。途中で教員を首にするわけにはいかないので能力のない先生でもそうやって凌いだそうです。そもそもケースによる教育の難しさと、それができるレベルに達した教員の確保の難しさがあったということなのでしょう。

ケース教育のねらい、マネジメントの要素

続いて片岡先生は、「ケース教育のねらいとは、知識よりは専門技術を授けること、すなわちManagementできる人を育てる教育である」と述べ、「マネジメントを構成する要素」について、ある学者の説明を引用し以下のように述べられました。

マネジメントを構成する要素

  1. Crafts
  2. Arts
  3. Science

「HBSは、この3つが集まってはじめてビジネスマンの教育が出来ると考え、特にCrafts、すなわち経験と経験の蓄積による熟練が重要で、Scienceはわずかでよいということでケースメソッドを貫いてきたわけです」。
ケースよりもライフサイエンスを中心に教えている最近の大学を引き合いに出しながら、「HBSが今日までケース教育を続けてきたことは誠に偉大である」と改めて強調されました。

KBSの新たな飛躍にむけて

最後に、この校舎が閉鎖され新しい校舎に移ることに触れ、この校舎を作るとき、「円形の階段教室を作らねばならないが、誰もそれがどんなものが分からなかったためボストンまで視察に行った」というエピソードなどを披露しながら、「始まりの時には、企業や教職員など本当に大勢の方々の苦労の上でKBSが成り立ってきたが、それがその後の方々の努力でここまできて、また新しい飛躍を遂げるということで胸がワクワクする」と述べ、参加者の盛大な拍手のなかでスピーチの最後を締めくくられました。
続いて、KBSの現委員長の池尾先生より片岡先生に感謝状が贈呈されました。
次に、平成20年同窓会副会長の田村充氏((株)フォーイーチ 代表取締役社長/M19)が、この日のために作成した旧校舎記念誌から抜粋した旧校舎の歴史をスライドで振り返りました。若き日の先生方の写真が映し出されると、参加者から感嘆の声が上がりました。
続いて来賓のご挨拶があり、記念誌に乗っていない「幻の校舎」についての話など、思い出のエピソードが次々と語られ、会場は大いに盛り上がりました。来賓の先生方は、片岡先生、石田先生、柴田先生、関谷先生、古川先生、鈴木先生、小野先生、和田(充)先生、青井先生、森川先生、池尾先生、河野先生、国領先生、余田先生、磯部先生(平成20年度同窓会役員)でいらっしゃいました。
最後にKBS委員長 池尾先生からご挨拶がありました。
「新校舎に移転してもこれまでの伝統を守っていく」、「その伝統とは、新しいことにチャレンジしていくこと、常に時代の先を走っていくことである」と総括され、「新しい校舎に移転しても皆様方の変わらぬご支援ご鞭撻をお願いいたします」と締めくくられました。
以上で第一部が終了し、慶応義塾大学の広報による記念写真撮影の後、21番教室の設営を変更し、懇親会に移りました。
懇親会では、余田先生から来賓代表のご挨拶を頂きました。
総勢170名の参加者は、同期やお世話になった教職員の方々との再会を喜ぶとともに、本企画の目的の一つでもあった「縦の繋がり」として、期を越えた交流のひとときを楽しみました。
以上(編集・構成:M28 川村)

和田先生

河野先生

研究室・事務棟をバックに青井先生

KBSの看板の前で最後に記念撮影
(M28 茶木さん)